最近は

2013年12月6日 日常
余計なことばかり議論している国会ですけれども。
「いつものことか」と言いたくないのだけれど。
戦時戦前の国会の中はきっとあのような感じだったでしょうね。

『特定秘密保護法案』について議論する暇があったら原発事故の賠償のことを考えましょう。電力会社だけでできないなら政府がやるべきだし、政府だけでも出来ないようなら推進してきた企業団体こそがその責任を負うべき。


大切なのは情報を隠すことじゃなくて、逆にオープンにすることですよ。
これでは今でさえ高い不信感がこの先更に募るばかりです。

例えばチェルノブイリ原発事故が起きた時に放射能漏れを周知しなかった為に、
後になって癌の患者が急激に増えて問題になるということがありました。

いくら秘密にしても現実に影響が出ることはある訳で、
これはその「影響」の報道すらしないで秘匿しておくということなのか。
それで苦しむ人間には泣き寝入りをしておけというなら、
その不条理は許す訳には行きません。
というわけで、もちろん僕はこの法案には反対です。



で。

そもそもメディアが何の為にあるのか。その存在意義から問い直しましょう。
例えば何かの感情を煽る、問題意識を持たせる、そういうことは勿論。

ただ、経済の活性化の為に何をしてもいいと思うような市場至上主義自体、
あまりよろしくない、というか全く賛同しかねます。

自分が批判の目を向けられない為に他の物事に注意を向けさせる、
これも最悪。

隠せばどうにかなるという対応は後々汚職事件で謝罪する企業のトップと何ら変わりはないし、「知らなかった」で通せば逃げられるということ自体、許されるものじゃない。

逆に「知らなかった」と言えば責任逃れ出来るなら、「特定秘密だとは知らなかった」で逃れられないってどういうこと? 結局お上の言うこと素直に聞いとけっていうこと?

というかそもそも秘密って何なのでしょうね?
まあ答えられるなら秘密ではないんだけども。



責任は最終的に誰かが負うべきであって、誰もが責任逃れをするようないい加減な社会を作ったオトナという生き物にも、子供は戸惑いを感じる訳です。


電気に頼り続けること自体、人間が人間でなくなる一番の原因だと思うし、
電気が責任を取るかと言ったらやっぱり取らない。


「男と女の区別」を曖昧にするのも、

「大人と子供の境」を曖昧にするのも、

「国境」を曖昧にするのも、

「家族とその外側との境」を曖昧にするのも、

「責任の所在」を曖昧にするのも、

やっぱりそれらをひっくるめた社会全体を脆弱にするだけです。

きっちりした線引きが必要な訳です。



自民党のキャッチの「日本を取り戻す」というのは帝国主義時代の日本に戻るということなのかどうか。僕は人間性の方を取り戻して欲しいんだけれども。

変に安定を求め過ぎると独善的になるのが人間の性な訳だし、「安定は希望です」とおっしゃる公明党さんはそのことをどう受け止めてらっしゃるのか。



ところで。
話は変わりますが、「楽園」という言葉をご存知でしょうか。
誰もが好きなように振る舞える場所、というそんなイメージだと思います。

誰もが好きなように振る舞えるということは、
つまり相手の意志など意に介さなくてよいということ。
いいことのように思えますが、実際にはそうじゃない。


お互いの持つ物同士を交換することで経済というものが始まった。
ここで相手の意志を介さないということは、経済が成立しないということ。
人間個々の独立は経済の崩壊を意味する。

相手の欲しがらないものを作っても経済の活性化にならない訳で、それでもそれをやるということは、「供給は需要を生む」というセイの法則を鵜呑みにするようなもの。
作りさえすれば売れるならこんなに簡単なことはないし、経済は破綻なんてしません。

一人一人で暮らすより、まとまって暮らした方が寧ろ消費は多くなる。
というか消費せざるを得ない状況を生む。
一人で消費するのには限界があるし、仲間内でももちろんそう。
家族だからこそ生まれる命があって感動があって、社会が成り立つ。



キリスト教の聖書の中で、最初の人間である楽園に住むアダムとイブが、知恵の実を食べて、それまで互いの前で裸でいたことに疑問を抱かずにいたのに急に気恥ずかしさを覚えて、神から楽園からの追放を命じられる冒頭の場面があります。

ここからして、恐らくイエスはこのことに気付いたのだと僕は考えます。

奴隷を使えば平民の女性解放は可能だったハズだし、堕落した男に女性が身を任せるのは真っ平だったに違いない。しかし奴隷が酷い扱いを受け続けて反乱を起こせば結果はどうなるか。

アイツが悪いコイツが悪いと互いに罵り合っての殺し合いが始まります。
男が女に対して責任持たないのが悪いだの、代わりに原発に頼った女が悪いだの、
情況は今の現代人と全く一緒です。

そういう人間を哀れに思ったイエスは、全ての人間が平等に罪を背負っている、
つまり全ての人間に責任があることを説きます。
男が男である自覚を取り戻させ、女が女である自覚を取り戻させた。
楽園からの追放は、経済のみにより成立する社会からの脱出の意味。


経済が豊かになったと言って、何でもかんでも経済に巻き込んだそのこと自体が間違いだったと気付きます。全てをビジネスの対象としてしか見ないのはやめにしよう、と。

子供の目線からすると、オトナが好き勝手やっていて自分達に目を向けてくれないのに、
どうして社会の為に役立てとそれだけを求められるのかが疑問で、それ以前に自分という存在を認めて欲しいと願っている。
そして子供はそれに対してどうすることも出来ません。

精神的な自立は、やっぱり家族を通してじゃなければダメです。
いきなり社会に出されたんじゃ、人に対する思いやりもなければ金銭欲さえありません。
「生きる」という欲さえ失われてしまうかもしれない。

国家として以前に、人間としての再出発。



イエスの説いたことは人間性の復古だったからこそ、
だからこそイエスの生誕が西暦の始まりになったし、
そこから人類の歴史が区切られたことになっている。
そしてこれがキリスト教が今でも根強く信じられている理由だと思う。

これから僕らも同じことをすべきです。
西暦1年から始めるつもりで。
これが正解。


宗教は経済に対する抑止力になるし、科学に対しても抑止力だと思います。
日本は無宗教なのが目下一番の問題で、政教分離も見直すべきだと思う。
ただ、「国家神道だけはやっぱり勘弁ですね」というところで。

農業観光業自然エネルギー開発主体で産業育成、
目先の利益だけを求めない意識改革、
それに伴って賭博事業縮小(これなんかは諸に”目先の利益”ですし)、
これからやるべきことは色々ありますよ。

今、親や学校、社会は真剣に子供に目を向けているでしょうか。

○昔は子供に対してどういう接し方をしていたか。
「殴るのも躾の内」 から 「行き過ぎた躾は虐待ということになるかも」 へシフト?

殴るにしてもせいぜい顔に傷やアザが残らないよう、「頭に上からゲンコツ一発」が適当かと自分は思いますが(実際自分の世代の所謂〝鬼〟教師はそうでしたし)
体で覚えなければ分からないことはあるでしょうし、自分の子供(あるいは生徒)を怯えさせるというんじゃなく(少なからず子供の目から見ればそう映ったとしても)、実際には「子供の為を思って」殴る、そういう教師は今はいるんでしょうか。

今、人に対する厳しさは足りないように思います。



○子供は「足手まとい」や「負担」な訳ではありません。
子供がいると自分が自由に動けないから子供のことは学校に任せよう?
本当にそれでいいんですか?

その「子供」が次代を担うはずなのに、大人は「今が良ければそれでいい」と言う。
そんな仕組みを作るから、今、社会は破綻したんですよ。


「いじめ」はどうしてなくならないんでしょうか。
教師は生徒を見てますか?
学校は勉強を教えるだけの場ではないハズです。
躾は学校だけの役目じゃなかったハズです。主たるは親。少なくとも昔はそうでした。

家庭に居場所がなかったら、子供はどうすればいいんでしょうか。
学校に居場所がなかったら、子供はどうすればいいんでしょうか。

人と人とが繋がり合うからその人の為に何かをしようと思う。
それを断ってしまったら、人は何かをする理由を失う。生きる理由を失う。

共同体の最小単位である「家族」を壊したから、
その「家族」が幾つも集まって出来た「国家」も崩壊する。
親は親としての役目を果たして欲しいと切に思う。



○今の時代は何かとやること成すこと事務的だと思う。
ただ教えられたことをやるだけの教育の流れが、社会に出てもそのまま残っている。
自分の頭で考えるという作業を抜きにして、優秀な子供が育ちますか?

企業の規模が大きくなるにつれて、子供と企業との距離は遠くなった。
大企業についてさえ、イメージはメディアで僅かに報じる程度。
中小企業だったら尚更遠く、ホームページすら開設していない所も多く、
イメージは具体的に沸くものじゃないし、イメージが具体的にならなかったら、
そもそもその会社を望む理由にはならない。
それどころかその会社を含めた業界そのものに目が向くかどうかも怪しくなる。
企業はもっとオープンであっていいと思う。
情報の開示が企業間の競争にどう影響するかよりも、後継が育たないことの方が問題で。


「お金の為に」もいいですが、それが本位じゃない。
「仕事の為に生きる」人じゃないと、本当にいい仕事は出来ない。
商品の質が下がったらそもそもお金にはならない訳で。
逆に上がればあなた自身の評価と共に賃金が上がりますよ。
それは結果であって目的ではない。

あるいは「大切な誰かの為」に仕事をしましょう。
ただそれだけで頑張れる。素敵なことです。


「愛」や「正義」という言葉が綺麗事だって言われても、別に構わないんですよ。
ただ、汚いものばかりじゃ秩序が失われて国が荒れるだけだ、ということはご承知頂きたいと思います。人の不幸を見て笑っていられるような酷い人間にはなりたくないし、あるいはそれを仕方のないことだと思って目を背けたくもない。

放射能からも、いじめからも子供を守る。
国は政治家のものじゃない、国民のものですので。
こっちが賭けているのは政治生命じゃなくて、文字通りの「生命」ですよ。
○今以上の何かを求めたい、その欲求について。

ロボットをもっと普及させるとか、
リニアモーターカーを走らせるとか、
宇宙旅行を身近なものにするとか。

少し前まで言われていたことが、もうあまり叫ばれなくなった。
それはなぜか。

リーマンショック以降、国の力が衰えたから? それもある。
そしてそれ以上に問題なのは、コストを下げることが難しいから。

地球上のものはほぼ探し尽くしてしまって、新しい発見を求めるには、
深海に潜るか、宇宙に出るか、その二つしかない。
そしてそのどちらも莫大なコストが掛かる。

効率がいいからとか、手早く簡単にとか、やたらと時間短縮ばかりが求められてきた現代。
しかしだからといってその分の時間を何に費やすかというと、それは趣味? 遊び? 勉強? どれもピンと来ない。

何でも電気がやってくれる?
それでいいの? 大きな大きな疑問符。

・例えば料金の支払いはカードでというと、
⇒金銭感覚の喪失。
いくら使ったのか忘れてしまった、子供にカードを持たせたら勝手に使い込んでしまったなど。

・何でも情報化してダウンロードというと、
⇒違法ダウンロードによる著作権の侵害、それに対する罪悪感の喪失。

・動作や作業をとことんデジタル化
⇒目の前にあるもの(例え自分がそれを作ったとしても)に対して実感がない。


どんどんと高速化していく社会があって、しかしモノを生み出すのはコンピュータじゃなく、「人間の脳である」ということ。機械の性能が上がっても、脳の処理するスピードが上がる訳じゃない。
モノを生み出す能力、創造力を養うこと、その為に、元となる「経験を積む、或いは積ませる」という行為を疎かにしたから。

仕事でスピードを求められるとか、それでいて独自色を打ち出さなければとか、負け組にならない為に焦って他者の真似をすることが慣例化してしまうとか、結果としてどの会社もやることが一緒に見える。いや、実際一緒なんですね。

映画やアニメのリバイバルとかリメイクが盛んに行われて、それをメディアが大々的にそれを取り上げたとしても、消費者がそこに魅力を感じていなければ意味がない。

原発事故以前の生活に満足していたなら、この先それ以上の何があるのでしょうか。
満足はしていない。不満は上げるならただ一つ、「つまらない」。


人と人との繋がりがあるからこそ喜びややりがいがあるんであって、そこに電気が入り込む余地はもうない。電話で離れた相手の声が聞こえるのはいいけど、やっぱり実際に会う方が嬉しいに決まっている。
何度も言うようですが非現実はあくまで非現実だし、これまで二、三十年、人間が一体何をやって来たのか反省すべき点は山ほどあって、今の世の中何が問題かと聞かれたら、俺は迷わず「全部」と答える。

家族は人間が形成する最小のコミュニティーで、その中心に父がいて母がいて子供がいて、祖父や祖母がいて、家族で店を経営するということも昔は珍しくはなかった。そしてそれぞれに役割があった。猫を飼うということにさえ、鼠退治という役が与えられて成立している。ただ愛玩用というだけでは、長続きする人間とそうでない人間とがいる。それも事実。

自由が利くのは素晴らしいことだけれど、利き過ぎて何をやったらいいのか分からないのでは困る。役割があるというのは生きる意味があるということだし、生きる意味があるということはそれだけで希望の沸くことでもある。

家族との繋がりをもっと、
地域との繋がりをもっと、
家庭を顧みられないほど仕事をするべきじゃない。
家族が自分の価値を見失うから。
あなたの存在には意味がある、そう思わせることが重要で。
子供にとっては特にそう、愛情が重要。
愛されている実感が沸かないのでは、愛することがどういうことか分からなくなる。


体の関係だけが愛することではないし、
子供が見る大人の姿がテレビの向こう側だけでは寂しい。
増して悪い大人の姿なんて見たくもない。

野球選手に憧れて結局夢破れてサラリーマンになるのと、
工場で働く父親に憧れて同じ工場で働くのとでは感覚、認識が違う。
何より本人が納得しているし、満足している。
落胆? そんなもの、する訳がないじゃないですか。


○結論としては、
これまで大人が子供を導く努力が足りなかったということ。現役世代が働ければそれでいい、その為に子供やお年寄りは施設に放り込む(言い方は悪いですが)或いは勝手に遊ばせておけばいい、という考え方に支配されていたということ。大人に都合のいい社会が子供にとっても都合がいいかというとそうじゃない。
そのやり方では、ある程度続きはしても長続きはしない。だから原発事故が起きた時点で、そういう時代は終わったんです。大人と子供は決して別の生き物ではないし、そこに繋がりがあってこそ、初めて社会全体が成り立ちます。

想像して下さい。
放射能を避ける為に家から突然追い出される人の気持ち。
暴力に虐げられ続けた女性達の気持ち。
学校でいじめられる子供達の気持ち。

想像して下さい。
彼ら彼女らがどういうことを感じ、どんな風に思い、何を考えるのかを。
もしそこに強い怒りや憎しみがあったら、そしてそれが爆発したら、
そこに何が起こるのかを。

考えましょう。
そういう愚を繰り返さない為にこれから何をすべきかを。
教師は事務的に子供に接するべきではないし、親も躾に携わるのが当然。


「なぜ山に登るのか?」と聞かれて「そこに山があるからだ」と答えることがあるとしたら、
「なぜ死ぬのか?」と聞かれたら、何と答えればいいでしょう。
自分は多分、自殺する立場に立ったら、「そこに何もないからだ」と答えると思います。
「自分をこの世に繋ぎとめるような何かが、ここにはない」と。

「登る」という行為に対して、「死ぬ」という"行為"は本来受動的にも能動的にも行われるべきものではないし、死は自然と訪れるもの、それが本来の形。


放射能では人は死んでいない。
でも「自分の受けた被害が賠償されないから」と自殺した人間がいる。
でも避難生活の辛さから自殺した人間がいる。

考えましょう。
人はなぜ死ぬのか。
メディアはある一定の方向性へ視聴者のマインドを動かそうとする。それが活動の指針になるから。しかし反面、その結果として望まなかった悪影響が生まれても、その責任は負おうとしない。
メディアにも間違った価値観を流布した責任はあるんじゃないかと思うし、それはいわゆる情報操作で。尚も原発再稼働を進めようとする理由が分からない。特にフジとNHKはその傾向が強い。メディアの言うことに一々耳を傾けて感化されていたら、それこそマインドコントロールされてしまいますよ。
個々に自立心が芽生えることの方が団体にとって脅威だから? 何もかも自分の思い通りになると思い込むその慢心が今の事態を生んだ原因で、問題を問題と思わないことが一番の問題、それが現代の社会構造そのもの。過去のデータを基にして、地震の予知なんて出来るはずがない。

1ドル300円の時代があった。でも若い自分達はそれを知らない。
チェルノブイリの事故だって、俺の生まれる二か月前だった。

自分の世代にも暴力が幅を利かせた時代の名残が残っていて、少なからず不良はいた。
それに反発してゲーム文化に感化されたオタクが増え始めたのも知っている。ゲームに夢中になって欲しかったんじゃなく、そういういかがわしい方向から目を逸らして欲しかっただけで。
でもこの国にはそれ以上の発展なんてない。今の方向性を突き進む天井が見えている。


○現代社会全体を覆う閉塞感

新しい発想が生まれなくなったら先人は何をしたか。その答えの一つが、14,5世紀のイタリア、ルネサンスの時代は「過去から持って来た」ということ。
建築にしても絵画にしても、古代ギリシャやローマの文化を再興させた。
勿論、そのままの形じゃなく、14,5世紀の当時の技術を交えて。

アナログを否定した訳じゃないし、デジタルの方向へ進んで来ただけ。
デジタルにはもう限界が見える。
写真という技術が登場しても、風景画という文化は廃れなかったのはなぜか。
そこに意味があるから。

作業的で機械的で生きている実感さえ得られない、そんな社会には存続する意味がない。

これからはデザイナーを多く育成するべきだし、政府も力を入れて取り組むことが肝要。どこにでもあるものばかり作って、そこにしかないもの、アイデンティティが失われてしまう。
効率や機能にシフトし過ぎて失われた美的感覚は取り戻していくべきだと思う。
原発再稼働しないと明言できない野田首相に魅力はないのだろうし。
ならば下ろすのが得策と。

原発に関しては最早内輪で勝ち負けを揉めるレベルの話ではないと思うし、
事故がもう一度起こったら、今度こそ日本全体の負けになる。
ただでさえ放射能は容易く漏れるものだし、時間が経てば建屋自体も劣化する。
ましてあの規模の地震津波がもう一度原発を襲ったら、耐えられるハズもない。

福島の惨状を目の当たりにしていながら今を謳歌していたくないし、してしまえば原発を再稼働させようとしている政府や電力会社と同じだろう。そしてそれが福島の人々に許されるだろうか。いいや、許されない。だから抗議することを止めない。止める理由がない。
それは勿論決して免罪符的な意味ではなくて、心からの抗議。福島の人々と同じ気持ちだということ。

「原発再稼働反対」

「原発再稼働反対」

「原発再稼働反対」

もしもこうすることで何も変わらないのであれば、何をする意味もない。


必ずしも電気で何かしなければならないという思考の縛りを取り除かないことには、これから先、新しいものなど生まれるはずがありません。それは生産の元になるアイディアがそもそも枯渇しているから。作る側がだらだらと作って、買う側が欲しくもないのに買う生活、それこそ有り得ない。

同じ機能の製品で、中国や韓国の方が安いんだったら、そっちに飛びつくのはむしろ当たり前で、所得の低い人々にとってはなおさらのこと、日本の製品なんて買わなきゃいい。
やることをやり切ってしまった停滞感のある日本やアメリカと、これから発展して来るだろう中国韓国の勢いとを比べると、いや、比べるまでもなく国力の違いは明らか。というよりもモチベーションからして違う。
既にシェアを奪われてしまった分野に関していつまで固執するのか、そこに見切りをつけるのか、あるいは奪還を試みるのか。どちらがより賢いのか。


優先順位に関して言えば、メーカーを立てるのか、国家を立てるのか、個人を立てるのかの問題がある。しかしそもそも一番前に来るべきは国家であって、個人は一番最後。電気を使って個人の自由を主張するのはもう不可能。
維持できないならいっそしないで下さいと言いたい。

人間は一個体で生きていけると思っているのかもしれないけれども、決してそうじゃない。
人間はどこまで行っても人間で、自然に喧嘩を売ったところで勝てる訳ではない。
今までの時代を振り返ってみても、そこに愛はなかったし、誰もがただ堕落してきただけだった。これまでがどうだったかは知っている。大事なのはこれからをどう歩みべきかということ。
これが国民の声です
再稼働反対!!
電気は体内に流れていますがごく微量です。人の体をコンセントに繋ぐのじゃありません。

利益を国の一部に集中して吸い上げる。それが現代社会の仕組み。
メディアが世の中を引っ張るのが社会なら、政治家は何の為にいるのか分からない。
放射能で人を殺して医療を維持して、結局どちらが助かるかという選民思想。

在宅勤務は外聞が悪くなる、
シフトをずらして土日の勤務は嫌だ、
詰まる所、良心が勝つか、プライドが勝つかの問題。
福島の人々に対する罪悪感はあるのかどうか。

もしもプライドが勝つなら、それはやはり戦争を容認した、日本という国家は「また」人を殺すことを是とした、という解釈をしてもよろしいのですね。
広島長崎に原爆を落とされて、どこよりも平和を愛するハズのこの国がですよ。
自分達の目指す未来が実現不可能になったなら、別の未来を描きましょう。

大量の汚染水を海にバラ撒いて、損害賠償する地域を限定して、汚染された瓦礫は未だ処分しきれていない、それで問題解決しましたっていうのは絶対に違う。
何も解決しないまま先に進んだから、今がこういう状態なんですよ。
その責任は原発を主導した国家が取るべき。民主だけじゃなく、勿論自民や公明も。

例え参議院撤廃してでも、菅元首相が震災直後に断ったユニセフの援助を、今更でも受け入れたい。原発を今後一切政争の具にしない為に、全て廃炉にする。
福島の人の気持ちを踏み躙らないで欲しい。

過去に原発を受け入れたから今後悔したなら、
これからは原発に三下り半を突きつける覚悟を。
原発っていうのは酷い男(女)ですよ。
期待させておいて結局裏切るんですから。
そんな男(女)には用はないです。
自分を自由にさせてくれたいい夫(妻)だったとしても。

◎原発について

首相の責任で動かすとは言うけれども、実際に強制退去させられるのは周辺住民なわけで。大飯は付近住民と原発が一蓮托生だというのはよーく分かった。他は別でしょうけどね。
電気料金の値上げは理不尽だとは言うけれども、強制退去させられた福島の人達の方がよっぽど理不尽じゃない?と考えてしまうわけで。
節電の努力をせずに原発再稼働で済ませてしまう辺りが短絡的というか、ただの思考の停止。だってその方がラクじゃないですかという怠慢。

原発がなければ何も出来ませんっていうよりは、原発がなくてもこれだけのことをした、って言える方がよっぽど誇り高い生き方。原発に依存していながら、私はきちんと自立していますっていうのは論理的矛盾を感じるし、現実を潰してでも非現実を作ろうっていう考え方はやっぱり納得がいかない。

3Dテレビ、3D映画、3Dゲーム、どれも目新しさに欠けるというか、コケても仕方がないというか。日本の産業全体、いや、社会全体に行き詰まり感が漂うというのが近い。

今まで目を向けていなかった方面へ目を向けるのが所謂流行の変遷であって、今ほど複雑化した世の中では、消費の向く先が分散してしまうのは当たり前で(例えば車を買うのを我慢して趣味に走ったりだとか)。好景気ならそれでも成り立つけれども、不景気下では成り立たない。これも当たり前。どの会社も大きな産業には育たないままズルズルと経営を続けて行く。物を作り続けてもごみが増える一方という問題もある。

◎教育について

勉強をするのは結構。でも知識を身に付けるだけなら「誰でも出来る」。
教育する側は、社会をどうしたいのか、どう変えて行きたいかを考えさせることを平行して行うのがいい。
される側も、必要なことは全部学校が教えてくれるという心構えで臨まず、自分から率先して行動することを身に着けさせるべき。
子供の全てを学校に委ねずに、親もきちんと躾をする。

自営業ならまだしも、会社勤めでは子供に大人の背中は見え辛い。先ずは興味を持たせる。それが大事。

※訂正
前回の日記の「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」は上巻です。
失礼しました。
原発を動かすことは、福島から追い出された人々を冒涜すること。
誰もが納得する形? そんなものはありません。
しかし結局、誰かを犠牲にすれば世の中正しく回ると思い込んでいるに過ぎない。

消費税を上げることに関しても、震災以前ならまだしも、タイミングは逸した。
被災地を除外することは不可能なのだろうかと切に思う。

TPPをやれば食料自給率が低下して、災害時の食料配給が滞ることは明白。
誰かを、何かを切り捨てれば、それは必ず自分に跳ね返る。
必要最低限のことすらままならないのに、上へ上へと上りたがる。

モノづくりをするといったって、日本の一人勝ち時代はとうの昔に終わっていて、日本に出来ることが諸外国には出来ないという時代ではもうないし、寧ろ家電品は韓国の製品に押されていて、業績の悪化は日本の商品に魅力を感じていないことの表れ。

今の時代、欲望とか願望といったものは飽和している。発想の行き詰まりを感じている。でも過去にそういう時代がなかったかというとそうじゃなく、例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチはこんな風に書いている。


 私より先に生を受けた人々があらゆる有益で必須の主題を自分のものとしてしまったから、私は非常に有益な、または面白い題材を選ぶことができないのを知っている。それで私は、ちょうど貧乏のため一番あとから市場に到着したが、他に品物をととのえることもできないので、既に他人の冷やかし済みだが余り値打ちがないために断られた品物すべてを買い取る男のようにふるまうであろう。
 私はさげすまれ断られたこの商品、数多の買い手の残りもの、を自分のはかない荷物のうえにのせよう。そしてそれを大都会ではなく、貧しい村々に配り、かつ自分の提供するものそうおうのお礼をもらいながらあるこう。

 「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」 杉浦明平訳 岩波文庫


誰もが自分の仕事に誇りを持っているかというと、そうじゃない。
機械的で作業的な日々。変わらない日常。平平凡凡以下の退屈な毎日。
刺激は全くない。

過去の成功の上に胡坐をかいているだけでは、社会は到底成り立つものではありません。
権威の衣を着てふんぞり返った学者達が自分の正しさを主張する。

「安全だから安全だ」

その主張は理屈を完全に無視している。ただ勿論、世界は理屈だけで回る訳じゃないことは皆知っている。

燃料費が負担になるなら、そもそも電気を当てにしなくていいんじゃないかと。例えどんなに便利な時代がやって来ると言われたって、福島の人々のことを思えば、手放しには喜べない。

暴力が蔓延って、フェミニストが原発を当てにして、
でもそれは結局、原発周辺住民を苦しめることだったら、
原発事故は起こらないっていうのは「詐欺」だし、電力という名の「暴力」なんですよ。
原発が全て停止しますね。
いっそ「全て廃炉にする」と早く宣言して下さい。
使わないものはあったって仕方がないですから。

昨夏は岐阜県庁が節電の為のシエスタ(スペイン・イタリアなどで日常的に取られている長めの昼休憩)を導入したようですね。いっそ日本の習慣に取り入れてしまえばいいですよ。
昨今のこの国の気候はもう、異常気象によって「はっきりとした四季があるとは言い難い状況」なので。サマータイムも積極的に導入する時期に来ていると。

イタリアはチェルノブイリの事故の影響を受けて、原発を使っていません。
原発を止めたことで日本がこれまでとは全く別の国になったとしても、それが一つの形。
利便を求めるのも安心・安全という前提の上に立ってこそであって、既存の路線を突き進むことが道徳的に考えて正義かどうかということも含めて協議することも重要。

あと、やっぱり人間は夜になったら寝ればいいですよ、というライフスタイルそのものの見直し、意識改革も必要ですね(電気代そのものが底上げされるならば、これも当たり前ですが)。
予てから毛利衛さんがCMや教養番組で訴えて来た、夜の日本を人工衛星から見た時に、電気が点いた家やビルで日本列島の輪郭がくっきり映るというもの。
人間が永遠に生きていられるはずはないし、資源は無限にある訳ではありません。その上放射能に対する恐怖を常に抱えて生きる原発周辺住民の気持ちを無視するのは言語道断です。

これからは、生産と消費の繰り返しの中で生まれた無理や無駄やムラを排除していくことも考えて行かなければなりません。原発稼働時と同じコストで同じ電気の量を供給出来ないなら、敢えて火力発電などでカバーするなどの無理をしなくてもいいでしょうし、これまでやって来たことの中で無理が生じて来ている事柄があるなら、「それ自体」を見直すことも必要になります。

もっともっと自然回帰しましょう。
日本の良さを取り戻しましょう。
消費増税は被災地を切り捨てることと同義。
原発再稼働は周辺住民を切り捨てることと同義。
政治家は今以上にもっと身を切る努力をすべき。

人を殺すのは犯罪と法律で規定しておいて、しかし「政治の結果として」人が死ぬのなら、それは是とする。そういう考え方では、戦争やるのと何ら変わりません。
原発周辺住民? 死んでもいいんじゃないの?っていう感覚でしょうね。
自由の獲得の為なら仕方のない犠牲よ、と。まあ、とんでもない話です。

その意味では、原発再稼働に賛成っていう人は、やっぱり「人殺しと同じ」です。
「事故を防ぐことは無理」なんですから。大丈夫大丈夫と言い続けて、結局防げなかった事実があって、そういう前例が出来ても尚、まだ再稼働するつもりでいるのは、やはりただの苦し紛れとしか言えない。

未来を約束した手前、後戻りは出来ないと。
でも結局それで後悔するのは自分達で。
子供老人は特に放射能に対する耐性は弱い。

何事も無ければ万事上手く行くはずだった?
人生にアクシデントはつきものですよ。そんなの当たり前でしょう。
そもそもそうやって生きるべき生き物なんです。人間っていうのは。

男のせいで人生を台無しにされた女性がいる。
原発のせいで人生を台無しにされた人々がいる。
こちらが意図してもしなくても、得られる結果は平等じゃない。
結婚して幸せになった人と不幸になった人がいたとして、
「その時たまたまそうだっただけ」ですよ。
でも原発の場合は、期待を裏切られた時点で終わりです。
自分たちが殺されてしまうんですから。
勿論次はありません。今度は本当にこの国から出て行かざるを得ない。
ああ、あの国は性懲りもなくまたやったと、他国から疎まれることも間違いはない。
他国に避難したとして、歓迎されるはずはありません。

ろくでもない男、女性に優しい男、色んなのがいるでしょう。
電気があれば一人で何でも出来る訳だから、そういうのに引っ掛かる心配はない。
それこそ母性に粉飾された科学、ですか、
先日放送された「相棒」のドラマで水谷豊さんが言っていました。

男が快楽に溺れて堕落した時代、女が一方的に社会的地位を貶められる時代、
そういうものを経て、バーチャルの正当性が主張され始めて、
どうせ貶めるだけなら、ただヤリたいだけなら、
「それは二次元でいいじゃないですか」、という話で。
電気がそれを可能にした? 幻はあくまで幻で。非現実はあくまで非現実。
現実なんて見なくていいなら、イコールこのままこの国が滅びてもいいってことじゃないですか。
手間を簡略化された料理も、単なる人間の退化、文化の衰退だとしか思えません。
楽かもしれませんが、長続きはしませんよと。

過度に美化された現実に溺れた哀れな迷える子羊が、この国に溢れている。
今のこの国、今の時代には、自由があり過ぎて秩序がない。

政府や企業はただ一方的に原発がもたらした娯楽その他を提供するだけで、
その先にどんなビジョンがあるというのか。
機械で大量生産されたモノとその類似品に囲まれた街。
そんな中でも自らの存在感を世界に示そうとして、
しかしアイデンティティを削り落とすことも、
新たに身につけることもためらわれるほど弱ったこの国。
欲しかった自由を手に入れて、しかし今度は何がしたいのか分からないという。
その癖人から何かを強制されるのは嫌だとも主張して。


望んだ理想の世界があった。夢があった。
でもそれを追う為に「人を殺す」んですか?
奪われた命は二度と還らないっていうのに。

原発は人間には過ぎた力で。制御出来ない暴走機関車で。
ただこの国の寿命を縮めただけに過ぎない。

第一次産業、第二次産業から第六次産業まで手を広げて、
結局利益は分散されて、海外との競争も激化して、
どの会社も規模を大きく出来ないまま、小さな事務所で細々と営業を続けている。

高度経済成長期、気を大きくした人間の作り上げた世の中の仕組み枠組みが、今になって悉く裏目に出ている。変に消極的になる必要はないけれど(今までが積極的過ぎたという見方もある)、少なくとも今は無理をすべきではないですね。
増してこの国の根幹を作り変えなければならないこの時期に。

〝日常〟の定義が「震災以前の生活」だとすれば、ですが。

さて。東京電力の電気料金値上げは避けられない情勢です。
アメリカ流の生活に憧れ、それを模範として出来た大都市の機能。
狭い敷地の中に1000万人もの人間を詰め込むことが出来るのも、膨大な量の電気があるが故。機械を使った大量生産による利益の独占や、大衆向けの娯楽なども電気の恩恵を受けた上でのこと。
しかしいつ暴発するかもわからない原発という名の爆弾を抱えたまま先へ進むことが出来るか。放射能が再び撒き散らされたその時にこそ、この国は終わります。

放射能で死ぬのが怖い。
仕事を失うのが怖い。
この世の全ての不安と不満を取り除きたい、
でもそれは不可能だと自覚した、一年前のあの日。

自分の住む場所から追い出され、且つこれからの生活に対する見通しも立たず、
その上子供達は転校先でいじめを受けるなどして心に傷を負っている。

「原発のせいで俺達はこんなに酷い仕打ちを受けたのに、
原発のお蔭で豊かな生活が出来ると人々は笑っている。
こんな世界は、社会のシステムはおかしい」

そんな風に思うことを果たしてテロリズムと呼べるか?
いいえ、これは普通の反応ですね。


話は変わりますが、自分は25日に行われた岡田副首相との対話集会に参加しました。
「明日の安心 社会保障と税の一体改革を考える」と銘打たれたその会の中で論じられたのは、「とにかく消費増税にご理解を頂きたい」の一点張りでした。
年金や保険のシステム、社会保障で収めた税金は国民に還元されるから、と。
しかし個人消費のコストを増やすその一方で、法人税は下げるという。

現状が十分に苦しいというのに、「更に上のレベルの生活を求めて行く、その為に税金を上げる」とする功利主義の考え方で、震災の前と後では余りにも状況が違い過ぎるのに、震災前から訴えて来た主張をそのまま継続しようとしている。
やはり国民を無視して政治が独立独歩している、という印象でした。

それに会の中では集会のタイトル通り、社会保障と税の話をしただけで、原発の話は全くありませんでした。目前の最重要課題であるにもかかわらず。後の質疑応答の時間に聞いても、答えは濁されるばかりで。

会の全体を通しての自分が受けた印象は、「どういう方針に舵を切るかは、あくまで『政治』が判断すること。ただ『国民』と対話する場を設けただけで、受け身に回ることはない」ということでした。
参加者の意見提案を論法で切り伏せるか、その場での返答を留保するかの二者択一。
ユーザーの声に応えず、自らが思う戦略を貫き通すメーカーの構図です。


話を戻します。
これまで日本はアメリカ流の社会を目指す風潮に流され過ぎました。ここにその限界が来たと言う他はありません。
前回の日記からの主張を繰り返す様ですが(繰り返し過ぎですが)、日本はアメリカほど国土が広くはありませんし、最終処分場を持たない東京や大阪で出たごみは、結局他の県で処理する羽目になります(島田市が受け入れなければ、実質的に被災地で出たごみを埋め立てる場所は無かった)。一極集中型の弊害は、当然そういう所にもあります。

だからこそ、これまでに作って来た新しい常識の弱さを知って、社会の構造には「嘘を混ぜない」ことを心に刻み、不測の事態が起こっても、容易に綻ばない強固な結び目を作ること。誤魔化さず誤魔化されないこれからを、他ならない自分達の手で作り上げていく。

ゼロからでは始まるものも始まらない、というのであれば、それは戦後に焼野原となった場所から復興を遂げた先人の頑張りを否定することになる。
それぞれの「今」を守る為に争うのではなく、壊れやすい状態の社会を頑健なものに作り変える為の方針の転換、それ故に協力をしなければならないということ。

原発のリスクを認識していながら反対しなかった、或いは周りに流されてしまった(一部の方は反対していたことでしょうが)ことは、全ての国民(勿論俺自身も含めて)が背負うべき「罪」であり、そしてこれからすべきはその償いです。
原爆や水爆の威力と影響とを誰よりも知る国でありながら、チェルノブイリもスリーマイルも対岸の火事で済ませて来た現体制は、即刻見直さなければなりません。

利便の追求だけが進化の道筋ではないということ、
「自由」の言葉の意味を拡大解釈しないということ、
「見えるリスク」は回避するということを、
この国は、俺達は、あの日の震災から学び取る必要があります。
不真面目さからは、少しの間でもオサラバしましょう。
今は耐え忍ぶ時期です。


※補足
前回の日記で更新が最後になるかもしれないと書きましたが、
その理由は、前回アップロードした写真、その内容です。
実際に雑誌に火を点けてみましたが、防火処理を施されているらしく、上手く燃えませんでした(恐らくそういうことをされることを「想定済み」なんでしょうね)。
なので、キッパリ白状するなら、残念ながら「焦げ目のついた雑誌を写真に撮って、
その上に炎の画像を被せて合成しただけ」です。

「火を点けた」というと、いわゆる「過激派」な印象がありますが、彼らには彼らの信念があって、だから国旗を燃やすなどの行為をしている。無差別テロをするなどやり過ぎな面が目立つけれど、彼らは彼らの主張がある。勿論、俺にも俺の主張があります(ただ、俺は法に抵触することをやるつもりは毛頭ありません)。

協力し合うこと、その為に何が必要なのか。

何でも暴力で解決するなら、協力なんてしなくても生きていける。
何でも電力で解決するなら、協力なんてしなくても生きていける。

でも、自分達の進むべき道は、そのどちらでもない。
もう一本、別の道が見えるでしょう。

(更新はこれで最後になるかもしれない)日記
女性にとっての不幸な時代が再び訪れるのなら、
男性にとって女性がそういう存在でしかないのなら、
逆に女性はそれ以外のことをする必要はない、
誤解の無いように予め言っておきますが、上の言葉の意味はつまり、

電気がやってくれなくても、家事なんてやめてしまえばいいということです。

以前書いたこととは真逆ですって? それはそうですよ。分かっていて書いています。
それもとんでもないことをね(苦笑

女性を過度に見下す男性に謙(へりくだ)る必要があるかといったら、
それは全く無いですしね。洗濯物も食器も、汚れたままずっと放っておかれたら、
一体どうなるでしょうね? 男女は協力して生きて来たんじゃないんですか?
電気があるお陰でその辺の感覚が麻痺しただけですか?

過去に強姦された経験のある女性が、
専業主婦として家庭に収まることが出来るかといえば、
それは難しいと言わざるを得ません。
ただ、この先電気も無しで企業を生かし続けることは難しいし、
それ即ち雇用も維持出来なくなり、個人の自由の保障も利かなくなる訳で。
一人暮らしというライフスタイル自体、電気無しでは有り得ない。
でも電気が手を貸してくれなくても、人間は生きていかなければならない。

電気が無かった時代は、男と女が手を取り合わなければ生きて行けなかった。
それが再来することが、所謂女性の自由を奪うことであるというのなら、
電気はやはりなければならないし、
イコール原発を使うかどうかという議論に再び繋がってしまう。
原発を使わずあの電気の量と料金体系を維持することは不可能だからです。

メタンハイドレートが火力発電の燃料としてどれ程の効力を持つかは不明瞭、
しかもそれが実用化に至るまでに、電力会社は電気料金の値上げを待てるか?
これまたNO。

値上げ分を補填し、企業を存命させる意味でTPPを妥結するか?
これも危険だと言わざるを得ません。
再び震災が起こって食料を調達しなければならなくなった場合にも、
わざわざ海外から取り寄せることを余儀無くされるからです。
平時からしてそうなるという前提で話を進めるワケですから、
非常時もそうだというのも当たり前です。

一年前のあの時は、事実全国の農家の方々の支援によって生き伸びた人々が大勢います。
この国から農家がいなくなったら? 想像すると恐いですね。
食料の奪い合いでもするつもりなのでしょうか。
日本が島国であるが故に、海路や空路を使わなければ支援が得られない。
その際輸送に掛かる時間はどの位でしょう?
そうなった時に、あなたはどれだけ待てますか?

加えて料理を一から作れる人も、相当数確保されなければならないですし、
(そんな時に作って持って来いだなんてまさか言うとは思いませんけど)
全ての家庭でハウスキーパーを雇うだけの余裕があるか?と問われれば、
無いから電気に頼って来たんです、と答えるしかありません。
料理はやりたい人だけやればいい、というものではないです。

原発という味方を失った今これからの時代、女性だけが夢を諦めるのは不公平で、
しかもある程度の職業選択の自由が欲しい、というのであれば、
男と女が住み分ける以外に道はありません。
一方の女性が働いて、一方の女性が家事をする。同性同士の結婚みたいなもので。
少なくとも今のこの国は、女性にとって優しい国とは言い難いですし。
男性が強硬姿勢を崩さないのなら、女性も強硬姿勢のままでいいんです。
電気が可能にして来たことを、電気が齎した財力に伴い生まれた驕りを、
一旦全て捨てるくらいの覚悟がなければ、原発との決別なんて出来るハズがない、
この国が生まれ変わることなんて出来ないんですよ。

暴力で何でも何とかしようとする人達がいて、
それに反発して電力で何でも何とかしようさせようとする人達がいる。
必要以上のものなんて、今の世の中幾らでもあります。
大衆向けの娯楽が発達してからは特にそう。
何もかもバラバラなこの国をまとめる助力になればと思って、
ただの一国民がこれまで散々戯言を言って来ましたけど、
今のままではまとまらないのなら、いっそ一度一思いにぶつかり合った方がいい、
という俺自身の(半ば身勝手な、半ばこの国の為を思っての)方針の転換により、
こんなことを書かせて頂きました。


最後に、これまで自分は日本は狭いとか地震が多いとか、自分が生まれた国でありながら、こき下ろす様なことばかり言って来ましたが(まあ実際今のこの国の在り様は嫌いですけど)、これから段々と良くなっていけばいいと思ってますよ。

男性は結婚する以上女性の人生に責任を持つべきだし、
親は子供の人生に責任を持たなきゃいけない。
当たり前なことが当たり前に出来る世の中になることを祈っていますよ。

人は人それぞれ色々な思惑があって生きている、それが世界。ということで。

あれから間もなく一年経とうとしていますが、まだ足並みは揃いません。

電気は欲しい、でも放射能は勘弁、それが正直な所。
原発を当てにして生きてきた人々にとって(例えばそれはエコノミストやフェミニスト、まあ色々な方々がおられると思いますが)、今は大変な状況です。

どんな世界、どんな社会に変わったとしても、自由を無限に求めても、
変わってしまったのだから後には引けないんだ、というのはもう通じません。

誤魔化し誤魔化し続けて来た社会が破綻し、崩壊するのも自然な流れ。
911のテロと同じく、いわゆる時代の節目。

ノアの方舟やバベルの塔、聖書には人間に対する戒めの言葉が綴られていますが、
恐らくは去年のあれも同じ類のこと。
金銭的に裕福ならやることも派手になるし、また人間的にも堕落しやすくなる。
あれはそれに対する罰だったなと思います。

日本は地理的に地震の頻発する地帯に属し、しかも国土の狭い国で、
それ自体は変えようもありません。
開発のしやすい平地は住宅やビルが建って、ごみ処分場はもう後がない。
自然分解されないものを多々作り続けて来た人間にとって、回避不能の問題。
有り余る経済力と電気でカバーすることも難しくなった。
循環型の社会を形作る使命を負う反面、
しかし生産し続けなければ企業は生きていられない。

個人の自由がより認められ、情報化社会が形成され、都市機能の維持もして、
より便利に、より時間を大切にと、効率の良さを求めて来た。

しかし津波と地震で17年分のごみが出たと報じられたのを見て、
今の人間社会のリミットは思ったよりも短いのかもしれない、
との思いをさらに強くしました。

今の方が昔よりも遥かに楽。それは確かにそうだと思います。
モノで溢れた社会。モノで精神的に満たされる社会。
ただ、そこに終わりは来るだろうか。いつかは来ます。そう遠くない未来に。

それぞれ刀を突き出して睨み合いを続ける人々。
豊かさで調子に乗って色々なことをやって、勝手だった。

男は女をそういう目でしか見ない、それも勝手。
だから女も男をそういうものだと一括りにした、それも勝手。
援助交際とか痴漢だとか、イヤなものばかり目にしてきた女性にとっての苦痛。
強姦された挙句殺されてしまうだなんて以ての外です。
男が勝手になったから、女も勝手になったんだと。

男に頼らず生きられる様に、男が女を見下し、女がそれに反発する。
電気があるから時代は変わった、電気があるからこれからは自由だ、
でも、そんな社会はいつかは壊れます。

フェミニストにとっての望みは多分、男も女もなく評価される社会、
未来に可能性を残すのではなく、自分たちが輝ける社会、
しかし電気無しで、原発無しでそれが可能か? NOです。
メディアを使ってあれだけプロパガンダもして、
士気を高めてその為にここまでやって来た。これから、という時だった。
今更断念なんて出来る訳がないでしょう? そうでしょうね。
だからっといって原発に対する不安不満を払拭できるか? それも無理です。

痛みを伴わない改革などあり得ないのだとして、
その為に見過ごされる事実があるとしたら、
今の社会のクオリティを維持するその為に犠牲になる人々がいるとしたら、
命の危険に晒される人がいるとしたら、
それは許されるものじゃない。

人は色々なものを見る。そして色々なことを感じて、ある程度の結論を得る。
それを基に行動する。

あれを見て、人はこれからの未来をどうしたいと思ったのか。
過去を忘れろ、とは言いません。
辛かったことも楽しかったこともあるでしょう。
これまでのお金の流れはあるでしょう。
人の流れもあるでしょう。思いの流れもあるでしょう。
ただ、ベクトルは合わせて行かないと前には進めない。

世の中を作るのは政治家なのか、メディアなのか良く分からない世の中だけれど、
これからをどうしたいのか? 開き直るしかありませんが、開き直り方が大事です。
勿論、原発を使うしかないという「それ」は除いて、ですけどもね。
約半年振りの更新ですね。
仕事やら執筆やら何やらで色々バタバタしてました。

近況から申し上げますと、特に変わったことは無いですね(ぇ
周りは変わり続けて行くのに、置いてけぼり食らう感じはありますが、別に不安は無いですし。

同じ物だらけで変わらない毎日。
自分らしさって何ですか?な日々。
生きてる意味って何でしょう?な日常。
ふらふらと生きております。

人間ってそろそろ生きることにも飽きているのではないだろうかと、
最近では思っとります。まあ色々マンネリ気味ってことで、、、
新商品って言われてもね、欲しいものとか言われてもね、うん。
カップラーメンの蓋に取りつけて、三分経つと色が変わる、とか誰が欲しがるんだろう?

自分、お金って別に興味は無いんですけどね。
手段であって目的ではない、という言い方は良くしますけれども。

多くを求められる状況ではないのに何故か求めてしまう、みたいな。
折角納めた税金が地震で倒壊した住宅のローンの返済に回されてしまう位なら、
最初からマイホームなんか建てずに賃貸の安いアパートマンションで暮らしていた方が、
もっと他のことに使えるんじゃにゃいですか?みたいな。

何十年ものローン組むくらいなら、手が届く範囲で買い物して、無理せず暮らす方が良いです。地震保険に入れと言われても、自分が生き残れるかどうかが先ず分からんのですしね。

急激なQOL(クオリティオブライフ:生活の質、の意)の低下はストレスなので、
出来れば極力元に戻したい、…っても金が無い以上どうにもならんのですよと。
物理的に状況を変えられない以上、心理の方を切り替えるのが大事なのかな。
しかしそうかといってタバコも吸えないという。。。。
将来700円とか1000円とか色々言われてますが、
まあ吸わない俺には無関係な(強制終了

そりゃあ地震なんて起きなければ良いんですよ。
良いんですけど、そう願って起きてくれなくなる訳でもないですし。
どこぞの空想話宜しく、もう街ごと空に浮かべれば良いのに、なんてなぁ。。。



さて、話は変わりますが今年のGWは大阪に行って来ました(古
道頓堀をふらふら歩きまわって、例のグリコの看板を一眼レフのデジカメでフレームに納めて来ました。ただの看板なのに不思議なものです。

通天閣とか大阪城とか見て回って、ビル街の中に何故かポツンとある神社なんかを巡って、まあ何と言うか、街の広さに脱帽です。
地下鉄が何本も通ってて、地下鉄なのに地下を通ってない箇所があることに少し驚きを覚えつつ。まあ土地の起伏とか事情があるし当たり前かと思い直し。

他にもポケセンオーサカでダルマッカ、ヒトモシ、オーサカ限定スリーブやらデッキケースやら購入。

機会があればまた行きたいですね~。


で、先月末は東京タワーのサマーカーニバルカップに参戦して来ました。
使用デッキは色々搭載し過ぎた感たっぷりの、
メガヤンマドンファンマニューラゼクロムレシラムキュレムアンノーン!。

三色の竜にダメカンを乗せる為のアンノーン!。同じ役割で瘴気の谷も二積みでしたが、三積みの方が良かったかも?と思いつつ。出来る限り1キル率を上げたかったんですが、レシはともかくゼクが厳しい。

結果はプレミアステージで四勝止まりだったんですが、昨年の世界チャンプの人に勝てたのでもうそれだけで満足かな、みたいな。
まあミカルゲ相手に先攻時空ドンファン降臨で、後は地震連発で上手く立ち回れただけですけどね。運だけです。
二ターン目でアンノーン!のポケパワー使ってコインが表を出してくれてネンドール撃破したのも大きかったかなと。本当に運だけです。
まあ良い記念でした。

考察としては、ヤミラミが3ポイントでミカルゲを処理しにくくなっているのと、
進化前がキャッチャーで呼ばれるので、進化ポケ使用はミカルゲ前提というか必須で。
ゼクロムトルネロパチリスシェイミの多いこと多いこと。

アグノムDP2を使うっていう案も自分の中で残ってはいたんですが、アタッカーを何にするかで迷って、結局形にならずに終わりました。


とまあつらつら書き連ねたいのはこんな所かなぁと。
文章の纏め方が、アレなのはご勘弁願おうということで。

後はサイコドライブとヘイルブリザードにも少し触れておくとして。
最初に見た時、今まで○○の○○っていうパターンが多くて、少し違和感を覚えました。
ポケモンにしてはカッコよさげというか、ちょっとカッコつけ過ぎだな、くらいの。
くらいの。

内容については、「もうたねポケモン引っ込め」の一言ですけれどもね(特にツー様
W無色で一ターン目から40。
先攻で自分のポケモンにエネを付けた場合、後攻で60。
だったら前を壁にして後ろに付ければ良いじゃない、っていうとキャッチャー飛ぶし。
超弱点だと80までアウトとか涙目。

アレのお陰で唯一進化ポケで優位だったグッズロックのゴチが消え、
怪力グレートも消え(いや、最初から居ないか?(←
ローブシンも使う前に使う気が萎え、、、

スカイアローブリッジはドーブル展開加速の補佐以外の何者でもない感じ。
寧ろドーブルの為にあるカードな感じ。

ポケモンセンターは流石にドンファンランドロスを警戒してか、説明書の記述よりも性能ダウン。うんまあその方が良いよと思いました。まる。

デントは・・・インタビュアーよりこっちかな、程度で。W無色が入らないのはアレですが。というかW無色が入ってるならインタビュアー推奨かも・・・。

学習装置はPCGのも使えるのかな。昔の奴はexに付けられないって書いてあるんですが、今のEXと区別はされるのだろうし、今の新しい奴にも付けちゃいけないって書かれていないし。

レベルボールは現環境だとシェイミジラーチパチリスを持って来る位しか、使い道が無さそうな。アタッカーは持って来られない。。。
ヘビーボールは逆にドンファン持って来られるし有用かと。

ムシャーナは漸くまともなドロー系、しかもアンコで。
逃げるが3なのはヘビーボール対象に入るけど、キャッチャーで引っ張られるとどうにもならないってことは大きなマイナス評価。

ハハコモリは弱点消しで。エネが付いているなら、という条件は、バトル場に出る限りはエネが付いているのだろうし達成は出来る。ロストリムーバーやクラッシュハンマーでエネが消えたら…諦める他無いですね。
まあ先ずハハコモリを立てること自体が面倒(

プクリンがりんしょう持ち? ガマガルゲロゲを使わないので関係無いです(´・ω・`)
仮に使うとしても、りんしょう持ちが全員進化ポケっていうと、出力の維持に期待が持てない。。。まあ使わないけど(何


全体的に、色々と発想が昔に退行してるなぁという印象。
勿論性能は昔よりもアップしてますが。たねでHPが180あるとか。
しかし技に関して言えば、強いという印象は受けないですね。
寧ろもう少しコンボ的なものを前面に出して欲しい。

昔はホロンエネルギーとかリアクトエネルギーとか特定の何かと組み合わせるとっていうのがありましたが、今はそんなに打ち出していないというか、単に前を殴るだけというか。LEGENDはまだサイド増やしたりロストゾーンがあったりしましたが、もう少し違うギミックが欲しいかなと。ただエネ付けて殴るだけっていうのよりは、エネ無しで殴れるギャラドスみたいなものがあった方が構築も違って面白味があるし。

アタッカーはたねを使って進化はサポートに回る傾向がますます顕著に。
サーナイトミュウツーとか。
超エネ二倍と訊いてロストゲンガーを思い浮かべましたが、
ゼクロムパチリスシェイミなんかのたねばかりのデッキに勝てそうも無いので却下。

「やっぱりたねがいちばんつよくてすごいんだよね」な今の環境は・・・。

今の時代は原発があるという前提の上に作られているということ。
広島と長崎に核爆弾が落とされて、僕達は原子力の恐ろしさを知った。
しかしそれでも原子力が膨大なエネルギーを齎すことに気付いて、
平和的な利用法を模索した。日本も含めて、世界は豊かになった。

電気が無ければ考えられない生活。
色々な物が自動化して、企業にも家庭にも電気が行き届く。

女性の自立も原発無しでは有り得なかった。家事から解放されてきた。
スイッチ一つでご飯が炊ける。コードを繋げばお湯が沸く。
洗濯機は乾燥までやって、皿洗いも機械の仕事。掃除はロボットがやってくれる。
工場生産のお陰で料理も簡単に出来る。
それなら益々女性が家庭という枠に縛られる必要なんか無い。働きに出よう。
「夫が家事を手伝ってくれない」という不満は解消された。

ならそれは「原子力と結婚した様なもの」で、男にとってもそれは同じなんでしょう。
二次元が好きで、現実なんてどうでも良い。
必要なのは一定の手順だけで、無条件に自分を愛してくれる。
男女共に、それぞれがそれぞれに、誰もが理想的な相手を手に入れた。
家事を手伝ってくれる〝夫〟と、どこまでも献身的な〝妻〟。

何者にも縛られず振り回されない自由な生き方を望んで、
精神的に満たされる社会、ストレスを感じない社会を作ろうとした。
でも結局今、異性に振り回されない代わりに原発というものに大きく振り回されている。
「だったらそれは昔と一体何が変わったんだろう?」と僕らに問い掛ける。

原発反対の声が高まった今、この国の東西の電力格差は直ぐには埋まりません。
再生は西から進んで行くのだろうし、東は今後も厳しい状態が続いて行く。
都知事は「自販機はいらない」と発言したし、実際そうなって行くのでしょう。
人の手を煩わせないデジタルの時代から煩わせるアナログへと後退していく。

高度な設備があったとしても、動力が無ければ仕方が無い。
ただ、既に出来てしまった物は取り消せません。
何十階もの高さがあるビルのエレベーターを止められるか?
パソコンは? 空調設備は? 警備のシステムは?
国内の工場も直ぐには復旧しない。

原発は莫大な利益を齎しました。しかし莫大な損害をも齎した。
僕らが今まで体験して来た生活は夢だったのか、幻だったのか。
いいえ、紛れも無い現実であり、歴史でした。
原発が無ければ僕らはここまで豊かにならなかったし、
世の中はここまで多様化し複雑化したりはしなかった。

余りにも多くのものを一度に失って、科学が自然の力を前に屈するのを目にした。
夏場に大規模停電が起これば冷房が止まり、日射病に苦しめられることになる。
僕らは自然に殺されるのか、それとも自然と共に生きるのか。
皆で考えなければいけない時が来たのでしょう。

地震と近況と

2011年3月24日 日常
最近仕事が忙しくて書けませんでしたが、ここでひとつ。

東日本の震災については、ニュースを見て唖然としました。
津波に飲み込まれて行く家々や車。
地形ごと何もかもが変わってしまった場所。
そして、失われた命。

被災地で負傷された方々、ご遺族にお悔やみ申し上げます。


自分も職場の元同僚が宮城の出身で、一年以上連絡を取っていなかったのですが、地震のことが心配で、翌日にメールを出しました。
20日の日曜日にやっと電話が掛かって来て、本人の無事の確認が取れ、声が聞けたことでホッとしました。

が。

「家族は大丈夫? お母さんは元気?」と訊いた所(面識はあったので)、
「去年の夏に病気で・・・」という返事。
胸が締め付けられました。

この手のシチュエーションは自分にとっては初めての経験で、強い後悔の念に襲われました。何と声を掛ければいいのだろう。分からない。
でも本人が生きていて良かったということだけは、改めて伝えました。

他の家族や家は無事とのことで、それどころか逆にこちらの心配までされるほど。
「そっちでも地震あったでしょう?」と。
しっかりしなきゃいけないのはこちらも同じか、と強く感じた瞬間です。

放射能。電力。食料。ガソリン。
問題は山積みで、今は混乱状態の最中にある。

多くの人が暮らしながら、しかし電車の本数は限られ、計画停電の影響も受ける東京。
大企業の本社が続々と、首都脱出に向けて動いている。
西日本へ、もしくは海外へと移転。
そんな状況の中でCMのスポンサーはおらず、
国内では一番金銭的損害を被るであろうマスコミ。
専門家の意見を信用せず、独断と偏見に基づく私見で動く国民。

連日の報道を見ていて思ったのは、専門家が信用されないのは基準が曖昧糢糊としているからではなく、寧ろ言語が原因かなと。

~だと思われる、~かもしれない、~だろう、~のはずだ。

断定的な表現はあまり使われない。
なぜか。
責任を被るのが嫌だからです。
医者は患者の家族知人に対し、「絶対助ける」とは言いません。
それと一緒。

でも不安ですよ。我々国民としては。
メディアの役割はいたずらに不安を煽ることじゃない。
国民に落ち着きを取り戻させること。
なら、やっぱり断定してくれなきゃ困る。安心出来ない。
「神はこの国を必ずお救い下さる」と言ってくれた方が、まだ安心出来ますね。

信頼出来るものが一つあるだけで、人は平静を保てる。
宗教は救われない世の中を救う為に出来た筈ですが、
昨今の日本からは最早消えつつありますのでね。


ただ、国民は国民の側で専門家の意見に耳を傾け、
理解を示す努力をしなければならないということも事実です。

ベクレルとかシーベルトとか、単位は色々ある。
しかし自分達に専門的な知識が無い以上、私達はスペシャリストに頼るしかない。
それでも信用出来ないと言うなら、自分達で放射線の領域に入って、どの位の濃度がどの位のレベルで人体に検出されるのかを、自分達の手で検証すれば良いんですよ。でもそれは出来ませんよね。
だから私達は彼らに従うしかないし、信用するしかないんです。
皆さん落ち着いて行動しましょう。

信じるには根拠が必要です。
が、疑うのにも根拠が必要です。

日本はまとまりの無い国だな、と今更ながらに思います。
まとめましょう。まとまりましょう。
それは本来なら菅さんの役目なんですが、今こそリーダーシップ発揮して下さいよ。
お願いしますよ。こんな時だからこそ。


何とまあ、真面目な日記(苦笑

ジムチャレポ

2011年3月6日 日常
昨日は休日出勤で行けませんでしたが、今日はどうにか。
でも全然カード触れて無いのでプレイングがグダグダ。大会前なのに。
結果は圏外なので書きません。フリー対戦でもほぼ負けっぱなしでした。

帰宅後デッキの不安定性解消の為にゴチランを改造してみたり。

○ポケ18
ゴチム4
ゴチミル2
ゴチルゼル4←以前は3
ユニラン2←3
ダブラン1
ランクルス2←3
ピィ1
ピチュー1←2
ゼクロム1

○エネ12
超10
W無色2←3

○トレ30
アメ4←3
通信2
スパボ1
いれかえ1←アンノーンCURE
くすり2
ジャンク2
ギア1
研究の記録1
キャッチャー1
ふたご3←4
アララギ3←2
チェレン4
コレクター3←4
ジャッジ1←新理論
ものまね1

エネの配分は相変わらず悩みのタネで。
少ないとは思いつつも、やっぱりこれしか入らない。
プラパも入れる余裕が無いです。
ジラーチとかシェイミって、一体どこに入るのやら。


さて。
巷ではビクティニのバトルテーマデッキがどうのこうの言われているみたいですね。
ってかまだ拡張パックを出さないのですか?
不景気だから? +少子化だからですか?

たくぼんさん撮影のポケセンのポスター写真によれば40枚封入で、楽天他各種通販サイトには、「1BOXで全てのカードが揃うとは限りません」との記載があります。
http://item.rakuten.co.jp/bigbe2/45151/

海外では既に40枚デッキというものが存在するというのは昔の公式ブログに書いてあった様な記憶がありますが、日本でも40枚デッキ戦というものを今後ルールとして正式に採用されるのかどうか。

ただ、40枚って数だと、他のカードゲームと割合被るんですよね。
では60枚が多過ぎかというと、やっぱり多いのかな?とは思います。
というか前から思ってました。

元々絵面が子供っぽい上に、資金繰りの面でもポケカは相変わらず他のトレカに比べて不利である、と。でも40枚という枚数で済むなら、子供でも組みやすい。その方がカットもし易いでしょうし。

それにそもそもエネルギーカードを集めるということから始めなければいけない初心者の立場からすれば、60という枚数はやっぱりハードルが高い様な気がしてならないんですよね。
そして同時にトレーナーズもデッキ全体の枚数が少ない分だけ少なくて済む。資産の格差もそんなに激しくはなくなるでしょう。40枚デッキのルール下での同名カードの制限枚数がどうだったか覚えはありませんが、少なくとも今よりは格段に楽になるかと思われます。
親子プレイヤーや親の援助が得られない子供プレイヤーにとってはいいことかなと。

まあこれらは全部40枚ルールが正式に発表されればの話ですが。
でも40枚で出すっていうことはするんですよね?

今日はアピタ静岡で行われたカードゲットバトル(もどき)と、
カイトままさん主催の大会に行って来ました。
今回は先月からポケカに復帰したてつやFさん・てっちゃんと初めての参加。
メビさんと共に今回も足をお借りしました。
これからまたお世話になりますm( __ __ )m

○アピタ静岡
レギュレーション:レジェンド以降ハーフ。デッキにミジュマルのカードを一枚入れる。
と、いう訳で、ドンファンヤンマ(にミジュマルを突っ込ん)で特攻しました。

何か問題でも?

うんでもまあそんなことをした割には成績は思わしく無く。
一戦目はプレミスからドンファンヤンマが立たなくなり負け。
二戦目はドンファンサイド二落ちでしかもメガヤンマが撃墜され攻め手が無くなる。
が、相手は山切れを起こしてどうにか勝ち。

三戦目はレンタルしたミジュマルデッキ同士でやって、一回進化させたはずのフタチマルが行方不明になり展開が少しグダグダになりつつも、ポケモン図鑑をものひろいで使い回して、モンボのコインも表。
しかし向こうはバスラオのエネトラッシュ技(名前は失念)もモンボもコインが裏で、ぶん回したこちらの勝ち。

昼飯を挟んでジム大会の会場へ。
レギュレーション:レジェンド以降スタン
使用デッキは幕府レシ。

今の環境は先にコレクターで展開出来た方の勝ち、
中盤以降で使うと悉くキャッチャーの餌食になるだけだということを再確認。

1st 6-0 勝ち
2nd 6-3 勝ち
3rd 6-0 勝ち
準決 6-2 勝ち 
決勝 0-0 負け

本番が近いので相手のデッキが何なのかは書きませんが、まあ想定外でした。

そんなこんなで準優勝。
はー。

終了後はカイトママさんカイト君てつやFさんてっちゃんメビさんとイタリアンに外食。
スパゲティーと惣菜スイーツバイキング。
食事はそこそこにして(!)、ここでもカードで対戦。

幕府レシ対エンブレシ。
うん、やっぱり先に立ったもん勝ちって気がする。

○エンブレシ
高出力。
しかし若干息切れし易い
(釣り人来ないと悲惨というのが主因かな

○幕府レシ
安定。
しかしやっぱりでかいのを倒し切れない
(どんなデッキにも言えることですがキャッチャーありき


まだまだ調整は続けなければならない様ですが、「スターターのポケモンの性能には期待しない」のが最近のポケカのセオリーというか。
しかしそういう印象を持たせてしまうのも、メーカーとして果たしてどうなのか。

公開されたコバルオンの性能は・・・。
でもまあエネルギー転送は山圧縮の観点からすると有用、デッキに一枚差すくらいの価値はあるかと思われます。
キャッチャーチェレンが主目的なのは言わずもがなだけれども。


追記:一部内容を削除しました。
失礼しました。
このカードが環境に与える影響は非常に大きいです。

1.ポケモンを育てる前に刈る
技に必要なエネを貼る、進化させるのがポケカの大前提であり、
それを崩されるとハッキリ言ってゲームにならない。
先に場を完成させた方の勝ち、ポケカが先攻ゲーと呼ばれる所以ですね。

2.アメの弱体化との相関関係
ふしぎなアメは、二進化ポケモンを育てるのに便利なグッズです。ADV第二弾で登場して以降、ポケカ界の立役者として地位を確立していました。が、出した番では進化させることが出来ないとなれば、進化する前のたねポケモンは、キャッチャーの餌食になることはほぼ避けられないと言って良いでしょう。

3.進化せずHPも低いポケモンへの依存度低下
パチリスシェイミのエネ加速をよく使う方には理解されるだろうと思うのですが、
彼らのHPは60と70で、一撃で葬るには容易過ぎる数値です。
彼らを使うことでデッキとしてのスピードは上がる。
が、長続きはしないというのが悩みです。
その上彼らを引っ張り出されて折角取ったリードを引っ繰り返されてしまうとなったら、
果たして彼らを使ったデッキは勝つ事が出来るのだろうか?と。

全く出来ないとは申しませんが、ゼクロムが技で反動を受けるということを含めても、
ゼクトル速攻が幕府レシに勝つということはほぼ無理なのかなという印象。
中盤から終盤でサイド差を引っ繰り返すことが可能なタイプのデッキは、
幕府レシかエンブデオレックぐらいのもの・・・の様な気がします。
しかもキャッチャーでサイドを稼げるなら尚のことかなと。


今日のジムチャレは幕府レシを使って、初戦から水に当たった上、壮絶な事故に遭い負けました。キャッチャーで三回もワニを引っ張ったのに、二回はいれかえを握られ、三回目はエネを張って逃がされるとか。
一戦目で引き分けが発生して(誰かさんのバスラオが暴発したから)、二戦目で全勝が一人になったものの三回戦も続行。
てつやFさんがレジェンド以降レギュで初優勝、自分はサイド差で三位に滑り込み。
まあパックの中身はコダックアルヒー+雷エネですが。

キャッチャーは四積みなのかなぁ、やっぱり。


○オマケ
今日から自分はコアルヒーをコダックと呼ぶことにします(
いや、だってアヒルですし。

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