原発を動かすことは、福島から追い出された人々を冒涜すること。
誰もが納得する形? そんなものはありません。
しかし結局、誰かを犠牲にすれば世の中正しく回ると思い込んでいるに過ぎない。

消費税を上げることに関しても、震災以前ならまだしも、タイミングは逸した。
被災地を除外することは不可能なのだろうかと切に思う。

TPPをやれば食料自給率が低下して、災害時の食料配給が滞ることは明白。
誰かを、何かを切り捨てれば、それは必ず自分に跳ね返る。
必要最低限のことすらままならないのに、上へ上へと上りたがる。

モノづくりをするといったって、日本の一人勝ち時代はとうの昔に終わっていて、日本に出来ることが諸外国には出来ないという時代ではもうないし、寧ろ家電品は韓国の製品に押されていて、業績の悪化は日本の商品に魅力を感じていないことの表れ。

今の時代、欲望とか願望といったものは飽和している。発想の行き詰まりを感じている。でも過去にそういう時代がなかったかというとそうじゃなく、例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチはこんな風に書いている。


 私より先に生を受けた人々があらゆる有益で必須の主題を自分のものとしてしまったから、私は非常に有益な、または面白い題材を選ぶことができないのを知っている。それで私は、ちょうど貧乏のため一番あとから市場に到着したが、他に品物をととのえることもできないので、既に他人の冷やかし済みだが余り値打ちがないために断られた品物すべてを買い取る男のようにふるまうであろう。
 私はさげすまれ断られたこの商品、数多の買い手の残りもの、を自分のはかない荷物のうえにのせよう。そしてそれを大都会ではなく、貧しい村々に配り、かつ自分の提供するものそうおうのお礼をもらいながらあるこう。

 「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」 杉浦明平訳 岩波文庫


誰もが自分の仕事に誇りを持っているかというと、そうじゃない。
機械的で作業的な日々。変わらない日常。平平凡凡以下の退屈な毎日。
刺激は全くない。

過去の成功の上に胡坐をかいているだけでは、社会は到底成り立つものではありません。
権威の衣を着てふんぞり返った学者達が自分の正しさを主張する。

「安全だから安全だ」

その主張は理屈を完全に無視している。ただ勿論、世界は理屈だけで回る訳じゃないことは皆知っている。

燃料費が負担になるなら、そもそも電気を当てにしなくていいんじゃないかと。例えどんなに便利な時代がやって来ると言われたって、福島の人々のことを思えば、手放しには喜べない。

暴力が蔓延って、フェミニストが原発を当てにして、
でもそれは結局、原発周辺住民を苦しめることだったら、
原発事故は起こらないっていうのは「詐欺」だし、電力という名の「暴力」なんですよ。

コメント

Rパパ
2012年5月31日12:48

はじめまして。
新潟の親子ポケカプレイヤーです。
リンクさせていただいて宜しいでしょうか?
宜しかったら相互リンクお願い致します

nophoto
Lino
2012年8月16日11:45

Wow! That’s a really neat anwesr!

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